スカパー

「スカパー!」と「スカパー!プレミアムサービス」(以下プレミアムサービス)では異なる衛星を利用する。スカパー!用の通信衛星(N-SAT-110)は、BSデジタル放送に用いる放送衛星群(BSAT-3a、BSAT-3b、BSAT-3c/JCSAT-110R)と同じ東経110度に位置している。対してプレミアムサービス用の通信衛星群は東経124度及び同128度に位置する。

「スカパー!」はスカパー!用のアンテナとチューナー、「プレミアムサービス」はプレミアムサービス用のアンテナとチューナーを使って受信する。アンテナを合わせる方角(左右)と仰角(上下)も異なる。但し3波対応アンテナ(110度BS、110度CS、124/128度CSの3波)もスカパー!では用意されており、それを使うとアンテナは一つで済む(家電量販店などでは3波対応アンテナは買えない。スカパーに直接申し込む必要がある)。

 

ブルードラゴン

『ブルードラゴン』 (BLUE DRAGON) は、2006年12月7日にマイクロソフトから発売されたXbox 360用ゲームソフト。Xbox 360の発売前から制作が発表され、豪華なスタッフ陣で話題となる。特に、坂口博信と鳥山明の共作は『クロノ・トリガー』(スクウェア、現:スクウェア・エニックス)以来であり、Xbox 360ユーザーの期待と注目度は大変高いものであった。

2005年末のXbox 360のテレビコマーシャルでは、当時は未完成であったにもかかわらずこの作品が紹介され、坂口博信と鳥山明(口周りのみ)本人も出演した。日本のみならず、北米や欧州などにおいてもXbox 360の戦略タイトルとして期待されていた。2006年12月7日に発売され、発売週の売上は約8万2000本、Xbox 360本体も10倍近い伸びを示すなど伸び悩んでいたハードの牽引に大きく貢献した。

ゴジラにまつわる話

1984年公開のシリーズ第16作『ゴジラ』は第1作の直接的な続編として製作され、同時に身長を80メートルへ変更。1991年公開のシリーズ第18作『ゴジラvsキングギドラ』では、「南方の孤島・ラゴス島に生息し続けていた恐竜ゴジラザウルスがビキニ環礁の水爆実験で発生した放射性物質を浴び怪獣化した」とされ、同作後半にてこの事実が明らかになった後、水爆実験当時ラゴス島にいたゴジラザウルスは未来人によってベーリング海へ移送、ここまで語られたゴジラの存在そのものが抹消された。その後、ベーリング海で眠るゴジラザウルスは放射性廃棄物の影響で怪獣化。加えて原子力潜水艦襲撃時に吸収した核により身長は100メートルとなり、以後、平成VSシリーズ最終作である1995年公開の第22作『ゴジラvsデストロイア』までこのゴジラが活動する。

アルパイン

1967年(昭和42年)、アルプス電気と米国モトローラ社の合弁会社アルプスモトローラとして誕生。当初は8トラックカセットデッキプレーヤーなどを生産していた。

その後1978年(昭和53年)にアルパインに社名を変更。アルパインブランドでのカーオーディオをメインに生産・販売する一方、ALPINE/LUXMANブランドで高級ホームオーディオを手がけていた時期もあった(1990年代にホームオーディオは撤退)。現在ではカーナビカーAVに加え、車載カメラなどドライブアシスト機器も手がける。

大阪医科大学

関西大学や大阪薬科大学と学術交流協定を締結している。(なお、前述2大学と合同で、2010年に医・薬・工の連携を目的とした共同学部を設置する予定であったが、文科省の規定する省令と計画の間に乖離があり見直しが必要となったため、後に延期となった。)また、高槻市と連携協力協定を締結している。
株式会社格付投資情報センターの学校法人としての格付けでは、A+(安定的)にランク付けされている(2006年9月30日現在)。
大学コンソーシアム京都や大学コンソーシアム大阪に参加している。
6年次の学外実習においては、本学と関西医科大学・近畿大学医学部・兵庫医科大学の4大学間で、学生の相互受け入れを行っている。

国際石油開発帝石

国際石油開発帝石株式会社(こくさいせきゆかいはつていせき、INPEX CORPORATION)は、石油や天然ガスの開発を行う企業である。国際石油開発と帝国石油の経営統合により2006年(平成18年)に発足した国際石油帝石ホールディングスが前身で、2008年(平成20年)に国際石油開発・帝国石油の両社を合併し、現社名へ変更した。

エネルギーの安定確保の面から、唯一黄金株を発行しながらも東証への上場が認められている。筆頭株主は日本国政府である。本社は東京都港区赤坂五丁目の赤坂Bizタワー。

2010年4月度より1年半、テレビ東京系列の「ワールドビジネスサテライト」や「日経スペシャル カンブリア宮殿」のスポンサーを務めていた。

アイリス・マードック

ダブリン出身。父親のウィリス・ジョン・ヒューズ・マードックは、ベルファスト近郊カウンティ・ダウンの、長老派教会に属する農夫の家系の出身で、かつて声楽家を目指した母アイリーン・アリス・リチャードソンは、ダブリン出身のアイルランド聖公会の信徒であった。幼くして両親に連れられロンドンに渡り、この地で父親は文官を務めた。

ブリストルで教育を受けた後、オックスフォードのサマーヴィル・カレッジで古典・歴史・哲学などを学ぶ。後にセント・アンズ・カレッジの研究員となる。

1954年にはじめての小説「網のなか」、哲学に関するエッセイ、ジャン=ポール・サルトルに関する研究書などを執筆。1956年にジョン・ベイリーと結婚。1995年までさらに25の小説・哲学書などを執筆した。

小尾十三

山梨県北巨摩郡穂足村大豆生田(現・北杜市須玉町)生まれ。1903年(明治36年)に江草村の本家から分家した家で、四男として生まれる。母は津金村の漢方医飯島家の娘。小尾家は農家で、父は国定教科書販売を営んでいたが1912年(大正元年)に破産したため一家で甲府市へ移り碁会所をはじめるが、母は幼い十三らを連れて善光寺町へ別居し、小作業や養蚕で生計を立てる。

1923年(大正12年)に甲府商業学校に入学するが、翌年には退学して長野鉄道局教習所電信科へ入所する。その後、職を転々とし農民組合運動にも関わり、日本共産党の影響下にあった全農支部青年部書記にもなっている。母の支援で上京し、1934年(昭和9年)には朝鮮総督府逓信局へ勤務。在京中に正則英語学校の夜間部で学び教員免許を得るが、警察の身辺調査で就職の道は絶たれていた。

メトロポリス

1924年のクリスマス間近、ラングは初めて見たアメリカの巨大都市ニューヨークの圧倒的な印象に影響を受け帰国し、なんとか映画化したいと相談すると、妻のテア・フォン・ハルボウも熱狂しシナリオに取り込み、翌年メトロポリスの撮影が開始された。ラングについて書かれた伝記によれば、メトロポリスの撮影は1925年5月22日に始まり、1926年10月30日に終了。公開当初は2部に分け3時間半ずつ上映されたと記されている。

ユーリ・アンドロポフ

スタヴロポリ地方ナグツカヤに生まれる。コムソモール(共産主義青年同盟)からソ連共産党専従に移る。ソ連共産党中央委員会附属高等党学校を卒業後の1940年から、フィンランドと国境を接するカレリア自治共和国を担当する。住民にフィン人(カレリア人)を多く抱え、ソ連・フィンランド戦争(ソ芬戦争)で一時フィンランド軍の占領を受けるなど複雑な事情を抱えていた地域で指導者として政治的力量を認められた。

1951年にオットー・クーシネンの推薦でソ連共産党の国際活動・外交及び諜報部門に活動の場を移した。特に1956年のハンガリー動乱では駐ハンガリー大使(在任1954年から1957年)として鎮圧に関わった。中ソ論争では、党社会主義諸国連絡部長として対応に当たった。1957年からソ連共産党中央委員会の課主任。