エクスプローラー4号

アメリカ国防総省の国防高等研究計画局は当初、地球の磁気圏、特にヴァン・アレン帯とその帯上での核爆発の影響の研究目的で2つの人工衛星を打ち上げることを計画していた。しかし、実際打ち上げられたのはエクスプローラー4号のみであった。

エクスプローラー4号は円柱状の形をしており、初めてエネルギー粒子(陽子/電子)の詳細な観測を行うための装置を搭載していた。予期せぬ衛星の回転運動により、検出器データの解釈が非常に困難になった。

低出力送信機とプラスチック・シンチレーター探知器は、1958年9月3日に故障した。2本のガイガー・ミュラー管とヨウ化セシウム鉱石検波器は、1958年9月19日まで正常に作動した。高出力送信機は、1958年10月5日に信号を停止。電動バッテリーの消耗がこれらの原因だと考えられている。衛星は、454日後の1959年9月3日に軌道減衰した。

椿三十郎

東宝の正月映画だが、完成が遅れ元日の封切りとなっている(通常正月興行は年末から)。この作品は元々、かつて黒澤組のチーフ助監督であった堀川弘通の監督作品として黒澤が執筆した、山本周五郎原作の『日日平安』の脚本がベースになっている。『日日平安』は原作に比較的忠実に、気弱で腕もない主人公による殺陣のない時代劇としてシナリオ化されたが、東宝側が難色を示したため、この企画は実現しなかった。

その後、『用心棒』の興行的成功から、「『用心棒』の続編製作を」と東宝から依頼された黒澤は、陽の目を見ずに眠っていた『日日平安』のシナリオを大幅に改変し、主役を腕の立つ三十郎に置き換えて『椿三十郎』としてシナリオ化した(共同執筆は小国英雄と菊島隆三)。

なお、黒澤は『日日平安』の主役にはフランキー堺か小林桂樹を想定しており、『椿三十郎』で小林が演じた侍の人物像には『日日平安』の主人公のイメージが残っている。

雷撃隊出動

艦攻や陸攻など日本海軍の雷撃隊の活躍を描く。実物の航空機や航空母艦が多数登場することで、貴重な史料としても知られる。2006年に東宝からDVDが発売された。戦意高揚映画とみなされるが、南方基地でののんびりとした日常を描いていると同時に、航空機不足など敗戦濃厚な日本軍の状況も隠しもせもせずに描いていることで、悲壮感が漂う戦後の反戦映画より反戦色が色濃い作品と言われている。

エリザベスモンゴメリー

1955年に父の出演するテレビ番組『ロバート・モンゴメリー・プリゼンツ Robert Montgomery Presents』と、映画『軍法会議』でデビューを果たす。

1964年から1972年にわたって放映された出世作で、唯一のテレビシリーズとなった『奥さまは魔女』は大成功を収めた。シーズン8まで続いたこの作品は数々の再放送・配信がなされ現在でも世界中で広く知られる作品となっており、また後にニコール・キッドマンがサマンサ役を演じて『奥さまは魔女』として映画リメークされている。エリザベスはサマンサ役で5度エミー賞を受賞、ゴールデングローブ賞にも4度ノミネートされた。

人気番組となった一方でエリザベス自身「シーズン4を終えたあたりでサマンサ役に飽きていた」と告白している。番組が終了した後はサマンサの有名な鼻を動かす仕草は、頼まれてもやりたがらなかったという。

メトロポリス

『メトロポリス』(Metropolis)は、フリッツ・ラング監督によって1926年(大正15年)製作、1927年に公開されたモノクロサイレント映画で、ヴァイマル共和政時代に製作されたドイツ映画である。

製作時から100年後のディストピア未来都市を描いたこの映画は、以降多数のSF作品に多大な影響を与え、世界初のSF映画とされる『月世界旅行』が示した「映画におけるサイエンス・フィクション」の可能性を飛躍的に向上させたSF映画黎明期の傑作とされている。SF映画に必要な要素が全てちりばめられており「SF映画の原点にして頂点」と称される。

勝利への旅立ち

『勝利への旅立ち』(Hoosiers)は、1986年に製作されたアメリカ合衆国の映画作品。インディアナ州の小さな町の高校バスケットボールチームの栄光を描いた実話を基にした作品で、2001年にUSAトゥデイ紙は「歴代のスポーツ映画の中でも最も素晴らしい」と評した。アカデミー賞で、音楽など複数の部門で候補となった。デニス・ホッパーがアカデミー賞にノミネートされた唯一の作品でもある。

キネマ旬報ベスト・テンの基準

キネマ旬報ベスト・テンは、1924年に外国映画のみを対象として「芸術的に最も優れた映画」「娯楽的に最も優れた映画」の2部門を編集同人の投票により選出したのが始まりで、日本映画の水準が高くなったことを理由に1926年から日本映画も対象となった。

以降、映画を日常的に多数観ており、中立的で公正な評価が可能な委員(第85回ベスト・テン発表時の選考委員は121人[1])により、毎年「日本映画ベスト・テン」と「外国映画ベスト・テン」が選出されている。第1位に選出された作品は、ベスト・ワンと書かれる。1972年度から「読者選出ベスト・テン」も始まり、「映画評論家が選ぶ、信頼に足る映画」と「一般的に広く好まれる映画」とが多角的に区別されている。邦画バブルと呼ばれる2000年代後期に日本映画界をマーケティング重視の作品が席巻する中でも作品第一の姿勢は一貫して貫かれている。

永井荷風の戦後

戦後は厳しい住宅事情とインフレによる預貯金封鎖のため、荷風は従弟大島一雄(杵屋五叟)やフランス文学者小西茂也など知人の家に同居を余儀なくされた。一人暮らしに慣れきった彼のライフスタイルは同居人への配慮のないもので、大島の三味線の稽古を妨害したり、硫黄臭のきつい皮膚病治療薬を浴槽に入れたり、縁側から庭へ放尿するなど、とても共同生活ができるものでなく、周囲と悶着を続けた。ために知人相磯凌霜の船橋市海神北一丁目の別荘を書斎代わりにした事もある。

大島一雄の次男永光と1944年に養子縁組をしたが、1947年夏、荷風の『ひとりごと』の草稿を大島の家族が無断で売却した争いがおこり、これが原因で離縁を弁護士に依頼したこともあるそうだ。

エピソード6 サブタイトルにまつわる話

スターウォーズのエピソード6について。

ジョージ・ルーカスが最初の脚本を書いた時点でのサブタイトルは『ジェダイの帰還(Return of the Jedi)』であった。しかし監督のリチャード・マーカンドに「『ジェダイの帰還』では弱い」と言われ、ルーカスはサブタイトルを『ジェダイの復讐(Revenge of the Jedi)』に変更し、サブタイトルを発表すると共に製作を進行させた。

しかし、公開前になってルーカスは「全宇宙一高貴なジェダイは復讐などしないだろう」と考え、最初の『ジェダイの帰還』に戻した。

それでも、日本国内では既に『ジェダイの復讐』名義の関連商品を準備しており、また興行的成功を狙ったインパクトのあるタイトルを求めたため、『ジェダイの復讐』として1983年に公開された。

「獣人雪男」撮影時の工夫

雪男の造形に当たっては、各種猿人の資料で裏付けをとって、リアルさを追求し、円谷監督は「単なる怖がらせのためのものではないと自信を持って言えるものだ」と自負している。

雪男のぬいぐるみの造形は、当初大橋史典が中心となって行われ、巨大さを表現するために、足元を高下駄式にしていたが、危険なため取り止めとなった。顔面も数回作り直されたが、約半年を費やした末に、最終的に造形チーフの利光貞三によって制作された顔面が採用された。胴体も八木寛寿、八木康栄によって子供の雪男ともども作り直された。

大橋の雪男は、牙をむき出した凶暴そうな顔つきが特徴で、利光の雪男は、口元の下がった穏やかな顔つきをしている。全身の体毛は、ヤギの毛を植え付けたもの。顔面はスーツアクターを担当した相良三四郎のライフ・マスクが石膏で型取りされ、演技者の表情に連動して動くよう工夫がされた。